広親の長男とされる酒井氏忠(親忠)の家系は代々左衛門尉を名乗ったので左衛門尉家(さえもんのじょうけ)といい、初代・氏忠から数えて5代目が酒井忠次となる。
忠次は、松平広忠・家康父子に仕えた重臣として知られる。重臣家の嫡子であった忠次は家康より15歳年長で、幼ない家康が駿府人質生活を送っていた際にも随従し、苦楽を供にしてきた家康から信頼を寄せられるようになった。
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桶狭間の戦い以後には、広忠の異母妹を正室とされた(のちの碓氷姫。当時、未亡人であった)。こうして家康の義理の叔父という間柄にまで高められたことから、徳川家臣団の中で益々重用され、ついには吉田城(豊橋市)を託されることとなった。「東三河の旗頭」として東三河4郡に住す国人領主たちを統卒、家康の青壮年期にあった多くの合戦でも彼等を率いて活躍。このような事跡から忠次は、のちに家康側近の武将として顕彰された徳川四天王、徳川十六神将の筆頭に数えられている。
1590年、関東への領地替えを豊臣秀吉に命じられた家康は、後北条氏の旧領に三河軍団を配置した。酒井左衛門尉家は忠次から代替わりをしており、嫡子・家次は下総国臼井(千葉県佐倉市)3万石を与えられた。ところが、ほかの四天王である井伊直政は12万石、本多忠勝、榊原康政には10万石が与えられていた。