新古典主義音楽は、戦間期にこの芸術運動を指導した主要な作曲家が、第二次世界大戦後に転向したり沈黙したりすることにより、人材を失って衰えていった。ラヴェルとレスピーギは戦時中に物故し、コープランドは戦後に十二音技法を取り入れながら寡作に転じた。イーゴリ・ストラヴィンスキーとエリオット・カーターはより急進的な作風に転じ、後者は「複雑系の音楽」の開祖となった。1945年にはバルトークも亡くなった。ヒンデミットは室内楽において表現主義音楽に、一方で一連の交響曲において新ロマン主義に接近している。フランス六人組の作曲家はなお健在だったが、ヨーロッパの楽壇を席巻しつつあった前衛音楽を前に、すでに時代遅れと見做されるようになっていた。またロドリーゴやフランセのように、あまりに通俗的な音楽語法をとった場合は、ワンパターンと見なされ、評価されないこともしばしばだった。戦後はすでにダルムシュタット夏季現代音楽講習会を中心に新しい音楽が議論されるようになり、十二音技法以前の作曲家はすでに過去のものと断じられていた。
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こうして新古典主義音楽は前衛音楽の陰に隠れ、芸術運動としての終焉を迎えるとともに、個人の手で細々と受け継がれるに過ぎなくなった。その主たる担い手は、ヒンデミットの弟子であったジークフリート・ボリスとハラルド・ゲンツマーであった。
諸井誠は新進作曲家として世界的にデビューしたときは、調的でヒンデミットを模範とする新古典的な作風をとっていた。おそらくこれは、父三郎の影響であろう。矢代秋雄は留学中に作曲した《弦楽四重奏曲》について、「ヒンデミットやバルトークを研究し、その影響が表れている」と述べている。